我が家のブルテリアの日記です。ブルテリア大好き人間が、ブルテリアについて語っています。 This is the diary of bull-terriers in my home. Human who loves bull-terrier speaks of various things about one.
by 海馬
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キクからげんへ!

前回は秋田犬げんについて書きました。
まだ途中ですが、この前にいたスタンダードブルテリアの「キク」について書きたいと思います。
何故かというと、「キク」から「げん」につながっているからです。

以下の『私とキク』の文章は、2007年にネットで知り合ったハチ公館長さんに頼まれて書いたものです。
この文章を書きながらどれだけ泣いたことか。
それ以来この文章は封印してきました。
でもげんのことを書く以上、キクとのつながりも書いておかなければと思い、封印を解いた次第です。
ですので、文章は2007年当時のままで変更していません。
もしかすると、どこかで目にされた方もいらっしゃるかもしれません。
長い文章になりますが、ご了承下さい。

テーマ:『私とキク

私は犬が大好きです。
今から思えば生まれたときからずっと犬がいました。
私は一人っ子ですので、犬は私にとってただの動物ではなく、家族そのものだったのです。

今から3年前、雑種のゴンという犬が病気になりました。
年齢は15歳10ヶ月でかなりの高齢です。何となくですが、もうたすからないのでは・・と感じていました。
それでも毎日病院へ通いました。もしや・・という僅かな希望と、たとえ無理でもせめて安らかにという気持ちがあったからです。

そんなときたまたま病院の壁に貼られていた一枚の貼り紙に眼がとまりました。それには「この犬の飼い主さん募集」とありました。
その犬は私が大好きな犬種のブルテリアでした。片方の目にはアイパンチがあり、ちょっととぼけたような顔に釘付けになりました。

現在ゴンの調子が良くないときに新しく犬を迎えるなど不謹慎かなと思いました。でも日ごと弱っていく姿を毎日見るにつけ、せめて新しい犬を迎えて明るい風を取りこみたいと思っていました。心の逃げ場を作りたかったのかもしれません。

早速帰宅後母に相談し、ポスターに書かれている電話番号に問い合わせました。その犬の名前は「キク」というらしく、同時に不幸な過去も知ることとなりました。元々長崎のブリーダー宅にいたのが、倒産により行き場がなくなり、キクの子供の飼い主さんが一時預かっていたそうです。しかしその家も永住の地ではないことを犬ながら察していたキクは、元々の神経質な性格も相まって、肩身の狭い思いをして小さくなって過ごしていたそうです。

それを知った同じくキクの子犬の飼い主さんが新しい飼い主を探すべく、預かってきたようです。
つまりキクはいろんな地を転々と移り住んできたわけで、心から落ち着ける場所がなかったのです。

電話から1週間後の土曜日、母とふたりでキクを見に行くことにしました。
出掛けに母は「見るだけよ。今日はまだ決めないから」と何度も言っていました。
犬好きは見ると連れて帰りたくなるもので、自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。

車で2時間後そのお宅に到着しました。
私達がくるというので予め玄関先につながれていたキクは、初対面の私達に尾っぽをちぎれんばかりに振って、大歓迎してくれました。母に飛びつき、顔をペロペロなめて、まるで昔の飼い主との再会を喜ぶかのようです。

飼い主さんと話しているときも、私達のそばから離れません。
母は自分にと出されたカステラをすべてキクに与えました。キクはペロリと食べて一瞬でなくなりました。「カステラをやったからですよ」と飼い主さんは言いましたが、それだけではないものを感じていました。

そのとき母が突然「連れて帰ろうか」と言い出しました。出掛けにあれだけ見るだけだと言っていた母が即決で連れて帰ると言います。
一瞬驚き顔を見返しましたが、真剣な様子です。

私は大好きなブルテリアと暮らせるという喜びと、その中でもこんなに可愛いキクと毎日一緒にいられるのかとの思いで、病気の犬の世話で重かった心が久々に弾むような心地でした。

そしてキクを連れて帰宅しました。
キクにとれば初めての場所です。しきりに庭を探索しています。
病気のゴンも新参者のキクを怪しいと思ったのか、庭を歩くキクの後をつけまわしています。その様子は久々に訪れた長閑な光景でした。
f0353904_11212232.jpg

ブルテリアは横から見ると顔に凹凸がありません。
大阪ではこれを「ずんべらぼん」と形容します。
母はキクの顔を見てはよく笑いました。私も笑っていました。キクを中心にいつしか笑いがおきていました。キクもそういう雰囲気を悪くはないなと感じていたように思います。

キクが私達の家族となって1週間過ぎました。
この段階で1つ壁にぶち当たります。キクが吠えないことです。
最近は住宅事情から吠える犬より吠えない犬がもてはやされていますが、私の家では昔から犬は番犬であるという法則があり、吠えない犬は飼うべからずという家訓めいたものがありました。
吠えないキクを前に悩みました。「なぜ吠えないの」「お願いだから吠えてちょうだい」と何度も語り掛けました。分かっているのかいないのか、キクはきょとんとした顔で、それでいて真剣な眼差しで私の顔を見ていました。

それから数日後、キクは配達のバイクにワンワンと吠えました。
私は嬉しくて嬉しくて母の元に走り、「キクが吠えたよ、これでずっと飼ってやれるね」と興奮気味に言うと、母はホッとしたような笑みを浮かべて「たとえ吠えなくても飼うつもりだったよ」と言いました。キクは番犬としての判定前に、すでに家族として認められていたのです。嬉しくて自然と涙が流れました。
キクの元へ正式な家族になれたことを知らせに行きました。
キクにとって初めて本当の家族に巡り合えたのです。これからはキクに本当の幸せをいっぱい味わわせてやろうと思いました。

キクが家族になって2ヶ月後の4月、ゴンは亡くなりました。16歳でした。
ゴンが亡くなったとき、キクはその恐ろしさからか、寂しさからなのかハウスの中で震えて外に出てきませんでした。しばらくゴンのハウスの前に好物のパンやチョコレートをお供えしていました。

供えた後ハッと気づきました。庭を自由に歩いているキクが食べてしまうのではないかと。思い慌てて出てみると、そこにはそのままの状態のお菓子がありました。
あの食いしん坊のキクが食べていないのです。
仲間が家族が亡くなったことが分かっているのです。人間と同じ心を持っているのだと益々キクが愛おしくなりました。

それから月日が流れました。
キクは冬になると玄関の下に毛布を敷いて寝かせていました。ブルテリアは短毛で寒がりだからです。更に上から毛布を掛けてやり、毛布の中でヌクヌクと幸せそうに寝ています。その姿を見て、私もその中へもぐりこんで何度も一緒に寝ました。
いくら毛布が敷いてあっても玄関は寒いです。ましてや下はコンクリートです。
でもキクと一緒なら寒くはなかったのです。

その時期あたりから私は理由もなくただ何となくキクのお乳を触る癖がついていました。
それは病院の医師より飼育者が初期発見できる癌は乳がんくらいのものだと聞かされていたからなのです。
私はキクが大好きでした。でもそれとは逆にキクとは長く一緒に暮らせないのではないかという不安が付きまとっていました。好きゆえの不安だったのかある種の霊感めいたものの為なのかは分かりませんが。

キクが家族になって1年10ヶ月後の2007年1月2日、年賀状が入っていないかなと郵便受けに見にいって年賀状を手に玄関に戻ったとき、ふいにキクが飛びついてきました。
いつもの仕草ですが、よしよしとなでてやり、いつものようにお乳あたりを触ると硬いしこりに触れました。小石が皮下に埋め込まれているように硬いのです。大きさは5ミリくらいに感じました。でも咄嗟に不吉な予感がしました。それは以前から硬いしこり=悪性腫瘍と聞かされていたためです。

目の前が真っ暗になりました。でも初期なら手術で取りきれるんだ、完治するんだと思い直し、すぐに病院へ電話をかけました。お正月なのでその日は休診で、翌日受診することになりました。

眠れぬ夜を過ごしました。初期なら大丈夫とは思いつつも、あのときの戦慄は何だったのだろう、過去の経験からあのしこりは尋常ではない。ただならぬ予兆を感じました。
翌日は雨でした。私にとってふしめの日に雨が降ると結果悪しのことが多いのです。でも行かないわけにはいきません。雨の中、キクを乗せて車を走らせました。

病院で検査が始まりました。
私の目の前で行われた検査では乳腺炎ではないかということでした。もっと詳しい検査は12時間後に分かるということでしたので、とりあえずキクと共に帰宅しました。
12時間後の午後7時頃、病院から電話がありました。

電話の医師の声に張りがない、咄嗟に不吉な予感がよみがえりました。
残念ですが、悪性腫瘍ですと言われました。
たとえ悪性でも初期なら手術でとれば完治しますよねと食い下がりましたが、この癌は悪性の中でも非常に悪性度が高く、横へ横へと増殖するタイプでなく、奥へ奥へとまるでクモの巣のように浸潤していくタイプだと伝えられました。取り除いても取り除いてもいたちごっこなのです。

つまりどんなに小さなうちに発見しょうと手の施しようがない極めて悪質な癌なのです。
それでも一縷の望みを託して、手術をお願いしました。
この癌の死亡率は90パーセントを越えています。
でももしや・・キクだけは助かるかもしれない。残りの10パーセントに入るかもしれないと思いました。

手術は1月15日に決定しました。その日も朝から雨でした。
手術後医師より癌は全部切除しましたが、安心はできませんと電話をもらいました。先のことはともかく、今はキクは元気にしていると聞いて安心しました。

2週間の入院の後キクは退院しました。
白いガーゼでできた服を着せられているキクを見て、可愛そうで涙が出ました。キクは久しぶりの再会に喜んでそばを離れません。

その日、医師から2週間に一度の検査を受けるように言われ、西洋医学の薬ではなく、漢方薬をいただきました。最先端の西洋医学ではどうすることもできないのだと思うと悲しくなりました。その日も自宅に着くと雨が降り出しました。

この日から再発しないかとヒヤヒヤした日が始まりました。
20センチ以上切られた患部を触り、再発していないかどうか確認する毎日のはじまりです。切り口の癒着による硬結なのか、それとも再発によるそれなのか・・分からないままに神に祈っていました。

医師の勧めた漢方薬はキノコの類でした。こういうものならば自分でも探せると思い、始めたばかりのインターネットを駆使して、少しでもいい薬はないかと調べ始めました。
昔から言われている霊芝や冬虫夏草、アガリクス茸などは真っ先に購入し、キクのために何時間もかけて煎じました。出来上がった液体を飲んでみるとまずい!とても飲めたものではありません。
案の定キクもなめようとしません。そこでここに蜂蜜を入れ、少しでも甘くして飲みやすくしました。

また「フコイダン」も購入しました。海草の一種でよい成果が得られているらしいのです。早速購入しました。しかしこれが高いのです。
勿論人間用なのですが、一升瓶1本で2万円くらいでした。それを大体10日で飲んでいましたので、1ヶ月に3本はいるのです。
でもキクが良くなれば、再発しなければ・・との思いで買っていました。

3月終わり、いつもの検査の日がやってきました。
キクを診てくれていた医師は女の先生でした。今月中でこの病院を退職するということで今日が最後の診察日でした。
そのときの検査では異常なしということでした。このしこりは何ですか?と聞くと、これは組織の癒着だといわれ安心しました。毎回こういわれても完全に安心したことはないのです。いつか再発するのでは・・という不安は付きまとっています。
この医師はキクの首輪につけたお守りを見て、別れ際に「再発しないことを祈っています」と言いました。この瞬間キクは完全に西洋医学から見放されたんだと痛感しました。科学の最先端を行く西洋医学の医師が「神」を持ち出すのは見放した証なのだと思うと、孤島で置き去りにされたような悲しさ・心細さが襲ってきま した。またどんな方法でもいいから私がどうにかしてやらねばとも思いました。

4月初め、まだ検査の時期は来ていませんでしたが、傷口の硬結がいつもとは違うと感じましたので、病院に行きました。以前の医師から新しい医師に担当が代っていました。検査の結果をロビーで待っていました。
しばらくして医師に呼ばれました。結果は再発していました。

何で?と思いました。3月終わりには大丈夫だと言われたのに。医師曰く、これはそういうタイプの癌なのだと。1年生存率は10パーセント以下なのだと。でもこの1年を越せば生存率は上がっているらしいのです。何とかしてやりたいと思い、話し合った結果また手術をさせることにしたのです。手術では前にもまして広 範囲で癌を取り除いてもらいました。
それでも全く楽観はできません。楽観などとは程遠い所にいるのです。

退院の日の日曜日はなぜか晴れていました。
キクのためにと母は帰宅時間に合わせてお手製のおじやを作って待ってくれていました。早速いつもの食器に入れると、全く食べようとしません。
手術のストレスかなと思いました。1日くらいは食べなくても大丈夫と言われていましたので、その日はそのままにしておきました。

ところが翌日もその翌日も何も食べないのです。
それどころか私達家族にも怯えたような態度を示すのです。
キクの意志などおかまいなく、2度も手術をさせた私達に信頼の念を抱いていないような感じなのです。

確かにそうなのです。私達はキクに生きて欲しいというだけで、キクの苦痛を全く無視していたのです。
それからというもの、母は毎朝キクに「私達はキクに頑張って欲しいのよ。みんなで一緒に頑張ろうね!病気になんて負けたらダメ!気を強く持ちなさい」と元気づけました。こういう励ましも効果があると医学的に認められているそうです。

私は1日2回キクの患部にフコイダンをしみこませたカーゼをあて、フコイダンや霊芝や冬虫夏草を飲ませることが日課となっていました。ガーゼがはずれないように私の古くなった服を着せていました。

庭のフェンスに服を引っ掛けて動けなくなっていたり、走り回って服をボロボロにしているキクを見ると、嬉しく思いました。元気なんだ、大丈夫かもしれない、大丈夫であってほしいと願いました。
ある医師はこう言っていました。
病気が再発する前に寿命がくればいいんだと。確かにそうです。つまり完治しないまでも再発を遅らせるかまたは、進行を遅らせればいいんだと。

しかし5月半ば病院より電話がかかりました。
血液検査の結果、血液中から例の癌細胞が発見されたらしいのです。
この分だとかなり進行しているので、これからの処置を相談しましょうと言います。

処置って何だ?と思いました。
4月にこの医師に担当が変更になった折、最悪の場合のシナリオを聞かされていました。6つの選択肢の中に「安楽死」がありました。その3文字は見ないようにしていたのになぜかそこばかりに目が行ってしまったのです。

それを思い出し、また今までキクに与えてきた苦痛を思うと、もう西洋医学の手を借りるのはやめようと思いました。かといって霊芝やフコイダンで完治するとは思っていません。
私達家族の愛情で奇跡を起こさせてやりたいと非科学的なことを真剣に信じ、それを目指そうと思いました。

私は普段から氏神様に毎月1日と15日は欠かさずお参りに行っていました。
これは現在も続いています。
神様にお願いしようと思いました。
思えばキクが始めて我が家に来た2月16日、私はこの神社にお参りし、新しく家族が増えましたと神様に報告しました。氏神様はその土地とその上に住む私達を守って下さっています。

その日から毎日欠かすことなくお参りをする誓願を立てました。
家から神社までは車で10分くらいですが、それが毎日となると辛いものでした。
晴れた日ばかりではなく、大雨や台風のときもあります。天災ばかりでなく、私の体の不調なときもありましたが、それでもキクのためならどんなことでもしてやりたかったのです。一心にお願いをしました。

やがて秋が過ぎ、11月になりました。
この頃になるとあまり食欲がないらしく、ドッグフードを食べようとしません。
食べさせねばという思いから、フードの上に蜂蜜をかけて食べさせました。
はじめは喜んで食べていました。しかしそれも長く続かず、また残すようになりました。
どうやらドッグフードの大きさが大きすぎるようなのです。小粒タイプなのですが、それでも蜂蜜の甘みが内部まで浸透していないのが食欲減退の理由のようなのです。

なので私がいったんドッグフードを口に入れ、粉々に噛み砕いてやります。
それを出してそこに蜂蜜をかけて与えると、ガツガツと食べるのです。
とりあえずはほっとしました。これもいつまで続くか分からないですが、朝夕に食事前には必ず噛み砕いていました。

この神社では11月には湯かけ神事があります。はじまりは午後8時からでした。
母とともにお参りをし、帰宅したのが10時を過ぎていました。
この日もいつもようにドッグフードを粉々にしてキクの前に持っていきました。
キクは食べようとしません。毛布に顔をうずめて寝ているのです。

何とか食べさせたくて、冷蔵庫の肉を煮てあっさりと味をつけて食べさせました。するともっともっと欲しいとドンドン食べてくれました。
しかしその肉も食べなくなり、あれやこれやの手を使って食べさせる日が始まりました。私が食べていた「豚の角煮」を与えると喜んで食べたので、キク専用に豚の角煮を買ってきて冷蔵庫にキープしていました。
何でも食べてくれればいいと思っていたのです。

12月に入りました。
いつものように庭を歩くキクを見てハッとしました。
左の後ろ足を接地せず、ケンケンで歩いているのです。

すぐに庭に出てキクの足を見ましたが、外見上は何ともありません。
でも咄嗟に癌が足の骨に転移したのではないかと思いました。
ケンケンではおしっこをするのも難しいのです。おしっこをする時間を見計らって、キクの足に手を添えてバランスをとってやりました。

この時期になるともう助からないだろうという思いが大半を占めていました。
毎朝キクの入る小屋をのぞくのが苦痛にもなっていました。もしや・・という思いがあったからです。

12月17日は土曜日でした。
その頃にはすでに「ブービー」という犬が来ていました。

夕方ブービーと散歩に出ました。キクにお散歩に行ってくるよと言い、家を出て10メートル程行った池の近くで、突如風が吹いてきました。その風の音に乗って「よしみ~」と私の名前を呼ぶ50代くらいの女性の声が聞こえました。誰だろうと振り向きましたが誰もいません。またもう1度同じく「よしみ~」と聞こえま した。
これはキクが私を呼ぶ声だったのです。

散歩から帰るとキクはおしっこに行きたいのか、水を飲みたいのか不自由な足を引きずって歩こうとしています。おしっこをさせようと所定の場所へ連れて行きましたが、しようとはしません。水が欲しかったようなのです。そのとき何となくキクと目を合わせました。そのときキクは私に向かってヒーヒーと、か弱い声で泣 いたのです。

キクは今までヒーとは決して泣いたことはないのです。ブルテリアは元々闘犬であるせいか、またキクは今まで一人ぼっちで生きてきたせいか精神的に強い犬だったのです。この声を私は「ありがとう、もういいよ」と聞きとりました。もうだめなんだ、キクはもうだめなんだと思うと一気に言葉では言い表せない寂しさが襲 ってきました。涙が止まりませんでした。

キクは不幸な犬だったのです。
子犬の頃から暖かい家族に包まれて暮らしたわけでなく、色んな家をたらいまわしにされてようやく掴んだ幸せだったのに。これから一緒に楽しい思い出をいっぱいいっぱい作りたかったのに。
我が家に来てたった2年で別れなければならないなんて、神様は意地悪だと恨みました。

その夜私は神社に奉納する切り絵の巨大絵馬を作っていました。
奇しくも翌年は戌年で、犬の絵を切っていました。もう明日の今頃はキクはこの世にはいないと思うと、何かしていないといてもたってもいられなかったのです。

翌朝8時キクの小屋へ行ってみると、キクは小屋の前で倒れていました。
私は駆け寄り、キクの顔を覗き込みました。まだ息はありました。しかしもう目は見えていないようでした。そのとき私はキクに言いました。

「私はキクが好きだ。大好きだ。もっともっと早く巡り合っていたら、もっともっと長く一緒に暮らせたのに。今度生まれ変わってきたら絶対また一緒に暮らそうな。そのときは子犬のときから一緒に暮らそうな。そうしたら長く長く一緒に暮らせるからな」と何度も何度も言いました。

やがてキクは永眠しました。
その日は日曜日でした。カンカン照りの青空でした。
思えばキクのために走った日はいつも雨だったのに、最後の最後でキクは私達に青空を残してくれました。
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お棺にはキクが好きだったお菓子やミルクやパンや・・病気で食べたくても食べられなかったものをいっぱいいっぱい入れてやりました。係りの方がこんなに入れられては・・というくらいにいっぱいです。だってキクは大食漢でした。ニワトリさんのえさのトウモロコシも食べていたくらいで、ご飯も残したことがなかった のですから。そして動物霊園に電話をして火葬してもらいました。お骨は今でも霊園の仏壇で安置してもらっています。

キクが亡くなったのは12月18日です。
この18日はキクが選んだ日だと思いました。
私の誕生日が1月18日、18日と言う数字は私にとって忘れられない数字なのです。
この日なら自分のことをいつまでも覚えてくれているにちがいないというキクの強い思いだったのだと思います。

それから2年後、「げん」という秋田犬に巡り合いました。
私の家では普段から犬はブービー1匹で十分だと決めていました。犬をもう1匹飼うことなんて考えもしていなかったのです。
ところが8月のある夜、家に泥棒が入りかけたのです。
男性の足音とともに犬の足音も聞こえました。これは犬を飼わねば、しかも大型犬を飼わねばと急遽犬探しがはじまり、たまたま見つけたのが今の「げん」でした。

生まれたばかりのこの子犬について問い合わせたその翌明け方、この犬が部屋のテーブルの上に座っているのです。何度も確認しましたが、秋田犬の子犬なのです。
つまりその犬は今の「げん」なのです。

げんは私達の元に来ることを予め見せてくれたのです。
もう犬は増やさないと言っていた我が家に子犬が来ました。しかも生後2ヶ月という年齢で。
私がキクに言った「今度暮らすときは子犬から暮らそう」という言葉。
私にとってげんはキクそのものなのです。

そのせいか私はげんを見ると意味もなく涙が出ることがあります。
自分では何の涙なのか全く分からないのですが、無意識の涙です。魂からの涙かもしれません。げんも意味もなく喜んでいます。いつも笑っています。お互い目と目で通じ合える何物かがあるのです。このふたりの間には何物の介在も許さない不思議な糸があうように思えるのです。

私は生前のキクとある約束をしました。キクはそれをじっと聞いていました。
それはキクの生前には果たせませんでしたが、げんの目の前で果たそうと誓っています。げんと二人きりの時間に、頑張るからなと話します。げんの目が無言の中にも力強い目で頑張れ!と言ってくれています。
私はキクのためにも、げんのためにも頑張らねばなりません。
キクとげんがついてくれているのですから、強い見方です。必ず成し遂げると誓っています。

私にとってキクはかけがえのない存在でした。
今はげんが私にとってかけがえのない家族なのです。げんは私を支えてくれます。受けるだけでなく、私もげんを支えていかねばと思っています。

キクにしてやれなかったこと、キクに味わわせてやれなかった幸せを今いっぱいいっぱいげんにしてやりたいと思っています。

以上です。
長くなりました。
当時この文章を綴るのに、どれだけ泣いたことか。
今思い出しても辛くて涙が流れます。

by himitukichi-bull | 2014-09-08 11:26 | その他
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