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我が家のブルテリアの日記です。ブルテリア大好き人間が、ブルテリアについて語っています。 This is the diary of bull-terriers in my home. Human who loves bull-terrier speaks of various things about one.
by 海馬
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訃報(その2) ・・・げん全盛期!

前回は『キクからげんへ』を書きました。
今日はその続きを書きたいと思います。

子犬の頃の秋田犬ほど可愛いものはありません。
コロコロしていて、笑顔が可愛くて。
げんがいた洋間は私の部屋でもありましたので、一緒にいる時間は長かったんです。
左を見ると、そこにはいつもげんがいました。
しかし私の好みは顔の長い犬ですので、当時「犬はやっぱりブルテリアだな」と思っていたんです。
でも毎日げんと一緒のお部屋で暮らすうち、そんなことはどうでもよくなりました。
顔なんてどうでもいい、犬種なんてどうでもいい。
げんのことが大好きになったんです。
私が「大好き、大好き」と言うと、げんは太い立派な尾っぽを優雅に振って、満面の笑みを見せてくれました。

げんがうちに来た当初は、朝8時くらいから約30分程、お庭で母と私とげんと家族で遊ぶのが日課になっていました。ふたり庭の大きな石に腰かけてげんが喜んで走るのをただ眺めているだけですが、それが何とも言えず幸せなひと時でした。

家の中では、食後の夜9時あたりからげんと遊ぶ習慣が生まれました。
げんは布が大好きなので、犬用のおもちゃのぬいぐるみを買ってやりました。
そうしたら、物凄く喜んで振り回したり、咥えて投げたり、時には引っ張りごっこをしたり。
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いづれもおもちゃは小型犬用ですが、それでも乱暴に扱うことはなかったので破ったりすることはなく、大事にしながら遊んでいました。
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はじめは1個から始まったおもちゃも次第に増えて、結局20個以上になりました。
特にぬいぐるみをママの足の間に入って寝ころびながら噛み噛みするのが大好きでした。体は大きくても甘えん坊なんですよね。
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母は足が痛いと言いながらも、可愛いげんならと喜んでいました。
特に足の上でミルクガムを食べるのが大好きでした。
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でも布が好きということは、洗濯物も好きということで、お庭に干す洗濯物を引きずり下してボロボロにしたこともありました。母の「げん、やめなさい!」という声に外へ出てみると「時すでに遅し」で、シーツはぼろ布に化していたことも何度かありました。
お庭に植えたばかりの桑の木をかじってまっぷたつに折ってしまったことや、ミカンの実をいたずらでかじっているところを母に見つかったときは、かなり厳しく怒られていました。
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また毎週土曜日には肉屋さんの販売カーが来ます。
母はもう30年以上前からここでお肉を買っています。
「ママ、お肉屋さんが来たよ~」と知らせてくれるんです。
家の前を通るとき、車から流れる音楽が「七つの子」。
この音楽にげんは必ず遠吠えをしていました。
よくこれだけ息が続くなあ~という見事な遠吠えで、ご近所からも「肉屋さんが来たと分かるわ」と評判でした。
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うちでは毎年秋になると和歌山県の九度山に柿を買いに行きます。
たまたま温泉の帰りに立ち寄ったお店で、市場には出せない傷ありや不揃いなどの柿が安く売られていました。皆柿好きですので、大量に買ってきました。
柿を車から下し、玄関前に置いて鍵を開けていたところ、匂いにつられてそばに来たげんが1つ咥えて持っていきました。初めは投げて遊んでいましたが、気づくとガジガジとかじっているんです。
結局種だけ残して、全部食べてしまいました。
「そうか!げんは柿が好きなんやな!」
それからは毎晩9時の「お遊びタイム」の後には母が予め切っておいた半個の柿が登場し、それを食べるのが当たり前になりました。
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その日から毎年秋にはげんは柿を食べることを楽しみにするようになりました。
柿シーズンには1日半個の柿を食べていました。
トータル100個は食べていたように思います。
ご近所で一番柿を食べているワンはげんやな~といつも笑いながら話していました。
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うちのお庭にも柿の木がありますが、何故か実がなりません。
いつもげんと見上げては、「柿の実、ならないかな~。」と話していました。
その柿の実が去年突然実をつけたんです。
なぜだろう?
偶然春先に枝を思い切って大胆カットしたことが功を奏したのかもしれません。
たくさんの実がなりました。
小ぶりでも中々甘い柿で、げんも喜んで食べるだろうと思っていましたが、去年は柿を食べることはありませんでした。
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楽しいことばかりではなく、事件もありました。
今から3、4年前の12月29日夕方。
かかりつけの動物病院で、病院スタッフを噛んでしまいました。
げんは病院の中で壁におしっこをかける癖がありました。
この日もいつものようにおしっこをかけ床を汚してしまったので、スタッフの方が拭こうとげんに近づいたようでした。
私はこの間、購入したドッグフードを車に運んでいました。
この間わずか1分くらいだったと思います。
「注意して見てて下さいね」と一言言ってから外に出たのですが、この間に事件が起きました。
院内に戻ると、女性スタッフがげんの横で口を押えてしゃがみこんでいました。
どうしたんだろう?とはじめは軽く思っていました。
でも胸元の白衣に点々と血がついているのを見て、心臓が止まりそうになりました。
「ドッグフードなんか買わなきゃよかった・・」
「そばを離れなければよかった・・」

噛まれたスタッフは病院に、私は一旦家に帰りげんをおいてから病院へ駆けつけました。
唇を噛まれて、一部欠損があるということでした。
年末だし、病院は休診になるし・・。
また何でこんな時期に・・。
お宅に数度、謝罪に伺いました。
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この時以来、お散歩時には口輪をはめるようにしました。
口輪と言ってもメッシュタイプの簡易的なものですが、これをする目的は周囲に注意を喚起するためでもありました。トレーナーさんに来ていただいたこともありましたが、結局は物理的な口輪に帰着したように思います。
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きっとげんは怖がりなんです。
ブービーなら気にも留めない些細なことでも動揺していますし、家族にでも絶対に触らせたくない場所があったりしましたから。
だからよく吠えたのかもしれません。
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「おかげで泥棒に怯えることもなかった」と母は言います。
でも反面、その性格のせいで、ストレスがかかり、寿命を縮めることになったのでは・・と思うと、複雑な思いです。

次回、訃報(その3)に続きます。
この話題ばかりでは重苦しくなりますので、間に最近のバロンの記事を挟みます。
# by himitukichi-bull | 2014-09-10 16:18 | その他

キクからげんへ!

前回は秋田犬げんについて書きました。
まだ途中ですが、この前にいたスタンダードブルテリアの「キク」について書きたいと思います。
何故かというと、「キク」から「げん」につながっているからです。

以下の『私とキク』の文章は、2007年にネットで知り合ったハチ公館長さんに頼まれて書いたものです。
この文章を書きながらどれだけ泣いたことか。
それ以来この文章は封印してきました。
でもげんのことを書く以上、キクとのつながりも書いておかなければと思い、封印を解いた次第です。
ですので、文章は2007年当時のままで変更していません。
もしかすると、どこかで目にされた方もいらっしゃるかもしれません。
長い文章になりますが、ご了承下さい。

テーマ:『私とキク

私は犬が大好きです。
今から思えば生まれたときからずっと犬がいました。
私は一人っ子ですので、犬は私にとってただの動物ではなく、家族そのものだったのです。

今から3年前、雑種のゴンという犬が病気になりました。
年齢は15歳10ヶ月でかなりの高齢です。何となくですが、もうたすからないのでは・・と感じていました。
それでも毎日病院へ通いました。もしや・・という僅かな希望と、たとえ無理でもせめて安らかにという気持ちがあったからです。

そんなときたまたま病院の壁に貼られていた一枚の貼り紙に眼がとまりました。それには「この犬の飼い主さん募集」とありました。
その犬は私が大好きな犬種のブルテリアでした。片方の目にはアイパンチがあり、ちょっととぼけたような顔に釘付けになりました。

現在ゴンの調子が良くないときに新しく犬を迎えるなど不謹慎かなと思いました。でも日ごと弱っていく姿を毎日見るにつけ、せめて新しい犬を迎えて明るい風を取りこみたいと思っていました。心の逃げ場を作りたかったのかもしれません。

早速帰宅後母に相談し、ポスターに書かれている電話番号に問い合わせました。その犬の名前は「キク」というらしく、同時に不幸な過去も知ることとなりました。元々長崎のブリーダー宅にいたのが、倒産により行き場がなくなり、キクの子供の飼い主さんが一時預かっていたそうです。しかしその家も永住の地ではないことを犬ながら察していたキクは、元々の神経質な性格も相まって、肩身の狭い思いをして小さくなって過ごしていたそうです。

それを知った同じくキクの子犬の飼い主さんが新しい飼い主を探すべく、預かってきたようです。
つまりキクはいろんな地を転々と移り住んできたわけで、心から落ち着ける場所がなかったのです。

電話から1週間後の土曜日、母とふたりでキクを見に行くことにしました。
出掛けに母は「見るだけよ。今日はまだ決めないから」と何度も言っていました。
犬好きは見ると連れて帰りたくなるもので、自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。

車で2時間後そのお宅に到着しました。
私達がくるというので予め玄関先につながれていたキクは、初対面の私達に尾っぽをちぎれんばかりに振って、大歓迎してくれました。母に飛びつき、顔をペロペロなめて、まるで昔の飼い主との再会を喜ぶかのようです。

飼い主さんと話しているときも、私達のそばから離れません。
母は自分にと出されたカステラをすべてキクに与えました。キクはペロリと食べて一瞬でなくなりました。「カステラをやったからですよ」と飼い主さんは言いましたが、それだけではないものを感じていました。

そのとき母が突然「連れて帰ろうか」と言い出しました。出掛けにあれだけ見るだけだと言っていた母が即決で連れて帰ると言います。
一瞬驚き顔を見返しましたが、真剣な様子です。

私は大好きなブルテリアと暮らせるという喜びと、その中でもこんなに可愛いキクと毎日一緒にいられるのかとの思いで、病気の犬の世話で重かった心が久々に弾むような心地でした。

そしてキクを連れて帰宅しました。
キクにとれば初めての場所です。しきりに庭を探索しています。
病気のゴンも新参者のキクを怪しいと思ったのか、庭を歩くキクの後をつけまわしています。その様子は久々に訪れた長閑な光景でした。
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ブルテリアは横から見ると顔に凹凸がありません。
大阪ではこれを「ずんべらぼん」と形容します。
母はキクの顔を見てはよく笑いました。私も笑っていました。キクを中心にいつしか笑いがおきていました。キクもそういう雰囲気を悪くはないなと感じていたように思います。

キクが私達の家族となって1週間過ぎました。
この段階で1つ壁にぶち当たります。キクが吠えないことです。
最近は住宅事情から吠える犬より吠えない犬がもてはやされていますが、私の家では昔から犬は番犬であるという法則があり、吠えない犬は飼うべからずという家訓めいたものがありました。
吠えないキクを前に悩みました。「なぜ吠えないの」「お願いだから吠えてちょうだい」と何度も語り掛けました。分かっているのかいないのか、キクはきょとんとした顔で、それでいて真剣な眼差しで私の顔を見ていました。

それから数日後、キクは配達のバイクにワンワンと吠えました。
私は嬉しくて嬉しくて母の元に走り、「キクが吠えたよ、これでずっと飼ってやれるね」と興奮気味に言うと、母はホッとしたような笑みを浮かべて「たとえ吠えなくても飼うつもりだったよ」と言いました。キクは番犬としての判定前に、すでに家族として認められていたのです。嬉しくて自然と涙が流れました。
キクの元へ正式な家族になれたことを知らせに行きました。
キクにとって初めて本当の家族に巡り合えたのです。これからはキクに本当の幸せをいっぱい味わわせてやろうと思いました。

キクが家族になって2ヶ月後の4月、ゴンは亡くなりました。16歳でした。
ゴンが亡くなったとき、キクはその恐ろしさからか、寂しさからなのかハウスの中で震えて外に出てきませんでした。しばらくゴンのハウスの前に好物のパンやチョコレートをお供えしていました。

供えた後ハッと気づきました。庭を自由に歩いているキクが食べてしまうのではないかと。思い慌てて出てみると、そこにはそのままの状態のお菓子がありました。
あの食いしん坊のキクが食べていないのです。
仲間が家族が亡くなったことが分かっているのです。人間と同じ心を持っているのだと益々キクが愛おしくなりました。

それから月日が流れました。
キクは冬になると玄関の下に毛布を敷いて寝かせていました。ブルテリアは短毛で寒がりだからです。更に上から毛布を掛けてやり、毛布の中でヌクヌクと幸せそうに寝ています。その姿を見て、私もその中へもぐりこんで何度も一緒に寝ました。
いくら毛布が敷いてあっても玄関は寒いです。ましてや下はコンクリートです。
でもキクと一緒なら寒くはなかったのです。

その時期あたりから私は理由もなくただ何となくキクのお乳を触る癖がついていました。
それは病院の医師より飼育者が初期発見できる癌は乳がんくらいのものだと聞かされていたからなのです。
私はキクが大好きでした。でもそれとは逆にキクとは長く一緒に暮らせないのではないかという不安が付きまとっていました。好きゆえの不安だったのかある種の霊感めいたものの為なのかは分かりませんが。

キクが家族になって1年10ヶ月後の2007年1月2日、年賀状が入っていないかなと郵便受けに見にいって年賀状を手に玄関に戻ったとき、ふいにキクが飛びついてきました。
いつもの仕草ですが、よしよしとなでてやり、いつものようにお乳あたりを触ると硬いしこりに触れました。小石が皮下に埋め込まれているように硬いのです。大きさは5ミリくらいに感じました。でも咄嗟に不吉な予感がしました。それは以前から硬いしこり=悪性腫瘍と聞かされていたためです。

目の前が真っ暗になりました。でも初期なら手術で取りきれるんだ、完治するんだと思い直し、すぐに病院へ電話をかけました。お正月なのでその日は休診で、翌日受診することになりました。

眠れぬ夜を過ごしました。初期なら大丈夫とは思いつつも、あのときの戦慄は何だったのだろう、過去の経験からあのしこりは尋常ではない。ただならぬ予兆を感じました。
翌日は雨でした。私にとってふしめの日に雨が降ると結果悪しのことが多いのです。でも行かないわけにはいきません。雨の中、キクを乗せて車を走らせました。

病院で検査が始まりました。
私の目の前で行われた検査では乳腺炎ではないかということでした。もっと詳しい検査は12時間後に分かるということでしたので、とりあえずキクと共に帰宅しました。
12時間後の午後7時頃、病院から電話がありました。

電話の医師の声に張りがない、咄嗟に不吉な予感がよみがえりました。
残念ですが、悪性腫瘍ですと言われました。
たとえ悪性でも初期なら手術でとれば完治しますよねと食い下がりましたが、この癌は悪性の中でも非常に悪性度が高く、横へ横へと増殖するタイプでなく、奥へ奥へとまるでクモの巣のように浸潤していくタイプだと伝えられました。取り除いても取り除いてもいたちごっこなのです。

つまりどんなに小さなうちに発見しょうと手の施しようがない極めて悪質な癌なのです。
それでも一縷の望みを託して、手術をお願いしました。
この癌の死亡率は90パーセントを越えています。
でももしや・・キクだけは助かるかもしれない。残りの10パーセントに入るかもしれないと思いました。

手術は1月15日に決定しました。その日も朝から雨でした。
手術後医師より癌は全部切除しましたが、安心はできませんと電話をもらいました。先のことはともかく、今はキクは元気にしていると聞いて安心しました。

2週間の入院の後キクは退院しました。
白いガーゼでできた服を着せられているキクを見て、可愛そうで涙が出ました。キクは久しぶりの再会に喜んでそばを離れません。

その日、医師から2週間に一度の検査を受けるように言われ、西洋医学の薬ではなく、漢方薬をいただきました。最先端の西洋医学ではどうすることもできないのだと思うと悲しくなりました。その日も自宅に着くと雨が降り出しました。

この日から再発しないかとヒヤヒヤした日が始まりました。
20センチ以上切られた患部を触り、再発していないかどうか確認する毎日のはじまりです。切り口の癒着による硬結なのか、それとも再発によるそれなのか・・分からないままに神に祈っていました。

医師の勧めた漢方薬はキノコの類でした。こういうものならば自分でも探せると思い、始めたばかりのインターネットを駆使して、少しでもいい薬はないかと調べ始めました。
昔から言われている霊芝や冬虫夏草、アガリクス茸などは真っ先に購入し、キクのために何時間もかけて煎じました。出来上がった液体を飲んでみるとまずい!とても飲めたものではありません。
案の定キクもなめようとしません。そこでここに蜂蜜を入れ、少しでも甘くして飲みやすくしました。

また「フコイダン」も購入しました。海草の一種でよい成果が得られているらしいのです。早速購入しました。しかしこれが高いのです。
勿論人間用なのですが、一升瓶1本で2万円くらいでした。それを大体10日で飲んでいましたので、1ヶ月に3本はいるのです。
でもキクが良くなれば、再発しなければ・・との思いで買っていました。

3月終わり、いつもの検査の日がやってきました。
キクを診てくれていた医師は女の先生でした。今月中でこの病院を退職するということで今日が最後の診察日でした。
そのときの検査では異常なしということでした。このしこりは何ですか?と聞くと、これは組織の癒着だといわれ安心しました。毎回こういわれても完全に安心したことはないのです。いつか再発するのでは・・という不安は付きまとっています。
この医師はキクの首輪につけたお守りを見て、別れ際に「再発しないことを祈っています」と言いました。この瞬間キクは完全に西洋医学から見放されたんだと痛感しました。科学の最先端を行く西洋医学の医師が「神」を持ち出すのは見放した証なのだと思うと、孤島で置き去りにされたような悲しさ・心細さが襲ってきま した。またどんな方法でもいいから私がどうにかしてやらねばとも思いました。

4月初め、まだ検査の時期は来ていませんでしたが、傷口の硬結がいつもとは違うと感じましたので、病院に行きました。以前の医師から新しい医師に担当が代っていました。検査の結果をロビーで待っていました。
しばらくして医師に呼ばれました。結果は再発していました。

何で?と思いました。3月終わりには大丈夫だと言われたのに。医師曰く、これはそういうタイプの癌なのだと。1年生存率は10パーセント以下なのだと。でもこの1年を越せば生存率は上がっているらしいのです。何とかしてやりたいと思い、話し合った結果また手術をさせることにしたのです。手術では前にもまして広 範囲で癌を取り除いてもらいました。
それでも全く楽観はできません。楽観などとは程遠い所にいるのです。

退院の日の日曜日はなぜか晴れていました。
キクのためにと母は帰宅時間に合わせてお手製のおじやを作って待ってくれていました。早速いつもの食器に入れると、全く食べようとしません。
手術のストレスかなと思いました。1日くらいは食べなくても大丈夫と言われていましたので、その日はそのままにしておきました。

ところが翌日もその翌日も何も食べないのです。
それどころか私達家族にも怯えたような態度を示すのです。
キクの意志などおかまいなく、2度も手術をさせた私達に信頼の念を抱いていないような感じなのです。

確かにそうなのです。私達はキクに生きて欲しいというだけで、キクの苦痛を全く無視していたのです。
それからというもの、母は毎朝キクに「私達はキクに頑張って欲しいのよ。みんなで一緒に頑張ろうね!病気になんて負けたらダメ!気を強く持ちなさい」と元気づけました。こういう励ましも効果があると医学的に認められているそうです。

私は1日2回キクの患部にフコイダンをしみこませたカーゼをあて、フコイダンや霊芝や冬虫夏草を飲ませることが日課となっていました。ガーゼがはずれないように私の古くなった服を着せていました。

庭のフェンスに服を引っ掛けて動けなくなっていたり、走り回って服をボロボロにしているキクを見ると、嬉しく思いました。元気なんだ、大丈夫かもしれない、大丈夫であってほしいと願いました。
ある医師はこう言っていました。
病気が再発する前に寿命がくればいいんだと。確かにそうです。つまり完治しないまでも再発を遅らせるかまたは、進行を遅らせればいいんだと。

しかし5月半ば病院より電話がかかりました。
血液検査の結果、血液中から例の癌細胞が発見されたらしいのです。
この分だとかなり進行しているので、これからの処置を相談しましょうと言います。

処置って何だ?と思いました。
4月にこの医師に担当が変更になった折、最悪の場合のシナリオを聞かされていました。6つの選択肢の中に「安楽死」がありました。その3文字は見ないようにしていたのになぜかそこばかりに目が行ってしまったのです。

それを思い出し、また今までキクに与えてきた苦痛を思うと、もう西洋医学の手を借りるのはやめようと思いました。かといって霊芝やフコイダンで完治するとは思っていません。
私達家族の愛情で奇跡を起こさせてやりたいと非科学的なことを真剣に信じ、それを目指そうと思いました。

私は普段から氏神様に毎月1日と15日は欠かさずお参りに行っていました。
これは現在も続いています。
神様にお願いしようと思いました。
思えばキクが始めて我が家に来た2月16日、私はこの神社にお参りし、新しく家族が増えましたと神様に報告しました。氏神様はその土地とその上に住む私達を守って下さっています。

その日から毎日欠かすことなくお参りをする誓願を立てました。
家から神社までは車で10分くらいですが、それが毎日となると辛いものでした。
晴れた日ばかりではなく、大雨や台風のときもあります。天災ばかりでなく、私の体の不調なときもありましたが、それでもキクのためならどんなことでもしてやりたかったのです。一心にお願いをしました。

やがて秋が過ぎ、11月になりました。
この頃になるとあまり食欲がないらしく、ドッグフードを食べようとしません。
食べさせねばという思いから、フードの上に蜂蜜をかけて食べさせました。
はじめは喜んで食べていました。しかしそれも長く続かず、また残すようになりました。
どうやらドッグフードの大きさが大きすぎるようなのです。小粒タイプなのですが、それでも蜂蜜の甘みが内部まで浸透していないのが食欲減退の理由のようなのです。

なので私がいったんドッグフードを口に入れ、粉々に噛み砕いてやります。
それを出してそこに蜂蜜をかけて与えると、ガツガツと食べるのです。
とりあえずはほっとしました。これもいつまで続くか分からないですが、朝夕に食事前には必ず噛み砕いていました。

この神社では11月には湯かけ神事があります。はじまりは午後8時からでした。
母とともにお参りをし、帰宅したのが10時を過ぎていました。
この日もいつもようにドッグフードを粉々にしてキクの前に持っていきました。
キクは食べようとしません。毛布に顔をうずめて寝ているのです。

何とか食べさせたくて、冷蔵庫の肉を煮てあっさりと味をつけて食べさせました。するともっともっと欲しいとドンドン食べてくれました。
しかしその肉も食べなくなり、あれやこれやの手を使って食べさせる日が始まりました。私が食べていた「豚の角煮」を与えると喜んで食べたので、キク専用に豚の角煮を買ってきて冷蔵庫にキープしていました。
何でも食べてくれればいいと思っていたのです。

12月に入りました。
いつものように庭を歩くキクを見てハッとしました。
左の後ろ足を接地せず、ケンケンで歩いているのです。

すぐに庭に出てキクの足を見ましたが、外見上は何ともありません。
でも咄嗟に癌が足の骨に転移したのではないかと思いました。
ケンケンではおしっこをするのも難しいのです。おしっこをする時間を見計らって、キクの足に手を添えてバランスをとってやりました。

この時期になるともう助からないだろうという思いが大半を占めていました。
毎朝キクの入る小屋をのぞくのが苦痛にもなっていました。もしや・・という思いがあったからです。

12月17日は土曜日でした。
その頃にはすでに「ブービー」という犬が来ていました。

夕方ブービーと散歩に出ました。キクにお散歩に行ってくるよと言い、家を出て10メートル程行った池の近くで、突如風が吹いてきました。その風の音に乗って「よしみ~」と私の名前を呼ぶ50代くらいの女性の声が聞こえました。誰だろうと振り向きましたが誰もいません。またもう1度同じく「よしみ~」と聞こえま した。
これはキクが私を呼ぶ声だったのです。

散歩から帰るとキクはおしっこに行きたいのか、水を飲みたいのか不自由な足を引きずって歩こうとしています。おしっこをさせようと所定の場所へ連れて行きましたが、しようとはしません。水が欲しかったようなのです。そのとき何となくキクと目を合わせました。そのときキクは私に向かってヒーヒーと、か弱い声で泣 いたのです。

キクは今までヒーとは決して泣いたことはないのです。ブルテリアは元々闘犬であるせいか、またキクは今まで一人ぼっちで生きてきたせいか精神的に強い犬だったのです。この声を私は「ありがとう、もういいよ」と聞きとりました。もうだめなんだ、キクはもうだめなんだと思うと一気に言葉では言い表せない寂しさが襲 ってきました。涙が止まりませんでした。

キクは不幸な犬だったのです。
子犬の頃から暖かい家族に包まれて暮らしたわけでなく、色んな家をたらいまわしにされてようやく掴んだ幸せだったのに。これから一緒に楽しい思い出をいっぱいいっぱい作りたかったのに。
我が家に来てたった2年で別れなければならないなんて、神様は意地悪だと恨みました。

その夜私は神社に奉納する切り絵の巨大絵馬を作っていました。
奇しくも翌年は戌年で、犬の絵を切っていました。もう明日の今頃はキクはこの世にはいないと思うと、何かしていないといてもたってもいられなかったのです。

翌朝8時キクの小屋へ行ってみると、キクは小屋の前で倒れていました。
私は駆け寄り、キクの顔を覗き込みました。まだ息はありました。しかしもう目は見えていないようでした。そのとき私はキクに言いました。

「私はキクが好きだ。大好きだ。もっともっと早く巡り合っていたら、もっともっと長く一緒に暮らせたのに。今度生まれ変わってきたら絶対また一緒に暮らそうな。そのときは子犬のときから一緒に暮らそうな。そうしたら長く長く一緒に暮らせるからな」と何度も何度も言いました。

やがてキクは永眠しました。
その日は日曜日でした。カンカン照りの青空でした。
思えばキクのために走った日はいつも雨だったのに、最後の最後でキクは私達に青空を残してくれました。
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お棺にはキクが好きだったお菓子やミルクやパンや・・病気で食べたくても食べられなかったものをいっぱいいっぱい入れてやりました。係りの方がこんなに入れられては・・というくらいにいっぱいです。だってキクは大食漢でした。ニワトリさんのえさのトウモロコシも食べていたくらいで、ご飯も残したことがなかった のですから。そして動物霊園に電話をして火葬してもらいました。お骨は今でも霊園の仏壇で安置してもらっています。

キクが亡くなったのは12月18日です。
この18日はキクが選んだ日だと思いました。
私の誕生日が1月18日、18日と言う数字は私にとって忘れられない数字なのです。
この日なら自分のことをいつまでも覚えてくれているにちがいないというキクの強い思いだったのだと思います。

それから2年後、「げん」という秋田犬に巡り合いました。
私の家では普段から犬はブービー1匹で十分だと決めていました。犬をもう1匹飼うことなんて考えもしていなかったのです。
ところが8月のある夜、家に泥棒が入りかけたのです。
男性の足音とともに犬の足音も聞こえました。これは犬を飼わねば、しかも大型犬を飼わねばと急遽犬探しがはじまり、たまたま見つけたのが今の「げん」でした。

生まれたばかりのこの子犬について問い合わせたその翌明け方、この犬が部屋のテーブルの上に座っているのです。何度も確認しましたが、秋田犬の子犬なのです。
つまりその犬は今の「げん」なのです。

げんは私達の元に来ることを予め見せてくれたのです。
もう犬は増やさないと言っていた我が家に子犬が来ました。しかも生後2ヶ月という年齢で。
私がキクに言った「今度暮らすときは子犬から暮らそう」という言葉。
私にとってげんはキクそのものなのです。

そのせいか私はげんを見ると意味もなく涙が出ることがあります。
自分では何の涙なのか全く分からないのですが、無意識の涙です。魂からの涙かもしれません。げんも意味もなく喜んでいます。いつも笑っています。お互い目と目で通じ合える何物かがあるのです。このふたりの間には何物の介在も許さない不思議な糸があうように思えるのです。

私は生前のキクとある約束をしました。キクはそれをじっと聞いていました。
それはキクの生前には果たせませんでしたが、げんの目の前で果たそうと誓っています。げんと二人きりの時間に、頑張るからなと話します。げんの目が無言の中にも力強い目で頑張れ!と言ってくれています。
私はキクのためにも、げんのためにも頑張らねばなりません。
キクとげんがついてくれているのですから、強い見方です。必ず成し遂げると誓っています。

私にとってキクはかけがえのない存在でした。
今はげんが私にとってかけがえのない家族なのです。げんは私を支えてくれます。受けるだけでなく、私もげんを支えていかねばと思っています。

キクにしてやれなかったこと、キクに味わわせてやれなかった幸せを今いっぱいいっぱいげんにしてやりたいと思っています。

以上です。
長くなりました。
当時この文章を綴るのに、どれだけ泣いたことか。
今思い出しても辛くて涙が流れます。

# by himitukichi-bull | 2014-09-08 11:26 | その他

訃報(その1)・・・!

先月8月13日のブログの更新を最後に全く更新をしていませんでした。
実はこの日、我が家の愛犬が亡くなりました。
8月13日午前11時18分、秋田犬のげんが7歳と22日で旅立ってしまいました。
ショックが大きく、何もする気がせず、ただ時間が流れていましたが、実は3日の夜、寝ついてすぐにげんが夢枕に立ちました。不自由だった右前足を引きずることなく、まだ若かった1歳くらいの姿で帰って来てくれたんです。
抱っこして体重計に乗って体重を測ってやると80キロありました。
私の体重を差し引いて20キロ。
今年7月末の体重は30キロでしたので、まだ青年だったころのように思えました。
いつまでも悲しんでいる私に元気な姿を見せるために来てくれたのか、「いつまでも泣いてたらあかんやん、元気だしてよ」って言いに来てくれたのかなと思いました。
いつまでも沈んでいてはげんに笑われる。
そう思って、今日は今まで書けなかったげんについて書きたいと思います。
数回に渡って書きたいと思っています。
このブログは「ブルテリアの秘密基地」ですが、他の犬種について書くことをお許し下さい。

げんがうちに来たのは今から7年前の9月14日でした。
その1ヶ月前の8月3日の夜、家の庭を歩く人の足音と犬の足音を聞きました。咄嗟に泥棒だと思いました。
今から考えれば泥棒が犬連れで侵入するわけでもなく、私の空耳だったのかもしれません。
当時、うちの家の裏から侵入する不審者がいたので、疑いもなくそう思いました。母に足音のことを話すと、「大型犬を飼おう!秋田犬を飼おう!」と言い出しました。
その言葉に一瞬「何を突然!?もうちょっとゆっくり考えようよ」と思いましたが、昔々私が生まれる前から飼っていた秋田犬のゆりを思い出し、私も乗り気になり、何となくインターネットで調べていると、7月22日生まれの秋田犬の子犬の写真が載っていて、その飼い主さんを募集していました。
3匹生まれた中で一番可愛い!と思ったのが、翌月うちに来ることになるげんでした。
早速メールを送り、その旨を伝えました。
実はメールを送ったその次の日の明け方、私がトイレに起きると、子犬がテーブルの角に座っているんです。
何度見ても秋田犬の子犬です。その光景を見ながらトイレに行き、帰って来てもまだその姿は見えました。
数十分見えていました。
この子犬はげんだと思いました。
うちに来るのが分かっていて、姿を見せたんだと思いました。
今でもそう思っています。
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そして翌日ブリーダーさんからメールが来ました。
他にもこの子犬を欲しいという問い合わせがあるらしいのです。
でも間一髪私の方が早かったので第一候補となり、8月11日にお盆のお墓参りも兼ねて兵庫県尼崎市のブリーダーさん宅へ行くことになりました。

その日はあっという間に来ました。
母は「すぐに決めたらあかんよ。ゆっくり考えないといけないから」と、向かう車の中で何度も私に念押ししていましたが、実際子犬を見て抱っこさせてもらうと、さっきの言葉はどこへやら。
「この子にしょうか!」と抱っこして数分後に即決しました。
それくらい可愛かったんですよね。
私は子犬を見る前に会ったお父さん秋田犬の姿に、「ええっ、秋田ってこんなに大きいのか!?」と驚きました。うちに昔々いた秋田犬のゆりよりも遥かに大きくて迫力があったからです。
どうやらこの間、マスチフの血を入れて品種改良されたようなんです。
こんなに大きくなる秋田犬を飼えるかな~?と不安に思いました。
でも子犬を見たらそんな懸念は吹っ飛んでいました。

その後居間に通され、話は進みます。
そのとき、母はあらかじめ考えていた名前をブリーダーさんに伝えました。
「げん」です。
「げん」というのは、踏んでも踏んでも起き上ってくる強くたくましい稲の種類のことらしく、ニュースで言っていたのを書き留めておいたようでした。
いい名前だということになり、呼び名は「げん」、血統書の名前は私の考えた「朱雀号」(すざくごう)となりました。朱雀とは南の方角を守る神様の名前です。所謂「火の鳥」です。

話は尽きません。
あっという間に4時を回っていました。
結局お迎えするのは9月半ばくらいにということになり、その日は帰宅。
その日のお墓参りは時間が無くなったので早めに済ませました。罰当たりですけど・・。

翌日からがげんを迎える準備が始動しました。
楽しい忙しさでした。
うちでは運動不足解消のために庭を自由に走らせてやろうと考えていたので、フェンスを高くすることにしました。今までのフェンスはかなり低かったので、大型犬の秋田が飛び上がると下を歩く通行人に迷惑をかけると思ったからです。

工事も着々と進み、ハウスの準備もして、家の中でのケージも買って。
あっという間に9月14日が来ました。
こういう時は時間のたつのが早いものです。
当日行きにガソリンスタンドでガソリン満タンにすると、給油後のルーレットで大当たりが出ました。
「おおっ!これは縁起がいいぞ!」と喜んだものです。
またこの日は大安です。
これはあえてその日を選んだのですが。

確か到着したのはお昼過ぎだったように思います。
兄妹3匹の中でげんが最初にブリーダーさん宅から離れるので、兄妹3匹皆で撮影されました。
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皆可愛いです。
このときの体重は7キロ。
生後1ヶ月22日でこの体重。
やっぱり大型犬はちがいますね。
秋田犬の子犬はどの種の子犬よりも可愛いと思います。
コロコロしてて、ぬいぐるみみたいです。

そしてブリーダーさん宅を出発して、午後3時ちょっと過ぎに家に到着しました。
早速洋間に置いたケージに入れようとすると、絨毯の上でおしっこしました。
約1時間ちょっとのドライブの間、我慢してたんでしょうね。
「ごめんな、げん」。
そしてげんをケージに入れて、はたと気づきました。
げんの食器を飼い忘れていました。
それに水入れもない!
とりあえずどん兵衛をすすって、ホームセンターへ走りました。
結構高かったんですよね、食器も水入れも。
でも安いのを探してる時間がないので、仕方なく買いました。
家に帰ると、げんはケージの隅っこで寝ていました。
疲れたんでしょうね、きっと。

午後4時過ぎ、げんが起きたのに合わせて、お庭に出してみました。
人間なら軽々登れる段差もヨッコラショという感じで、ささいな仕草も可愛いです。
庭に植わっていたアロエをガジガジかじって遊んでいました。
早速ご近所の方に発見され、「可愛い~!」と注目の的になったんです。
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その夜、夜泣きするんじゃないかとげんのケージに近い側の部屋で寝ましたが、夜中トイレに行ったときに軽く「ヒーヒー」と小声で泣いたぐらい。
「げん、ここにいるよ」っというと安心して泣き止みました。
ただそれだけ。
「帰りたいよ~」とキャンキャン泣くことはありませんでした。
「げんは強い子やな~!さすが秋田犬やな!」
とベタベタに褒めて、げんも大喜び、母も私もげんを迎えて新しい日がスタートしました。

今回はここまでにします。
次回に続きを書いていきたいと思います。


 
# by himitukichi-bull | 2014-09-06 10:06 | その他

4ヶ月迎える!

バロンは4月5日生まれ。
8月5日で生後4ヶ月になりました。
「もうそんなに!?」というより、むしろ「まだそんな・・」という感じの方が強いです。バロンはうちに来て約2ヶ月と18日ですが、もっともっと前から一緒に暮らしてる感じがするんですよね。

4ヶ月を迎えてバロンの様子です。
こんな感じです。
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眠たいんでしょうか、ボ~っとした顔してます。
まだまだあどけない子供です。
最近抱っこのおねだりが増えたような気がします。
散歩に出て、心細かったんでしょうかね。
甘えが以前よりも強くなってます。
歯も生え変わる時期になってるのに・・・。

でもそれが可愛いんですよね。
「大人になっても甘えてよ」って頬ずりしながら毎日言ってますから。
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そして体重を測ってみました。
おおっ!
6.3キログラムです。
道理で抱っこで公園に行くとき、重いはずです。
まあまあ順調に成長しているので、これでよし!
ドッグフードも毎回はかりで測ってきっちり与えていますからね。
フードをケチって病気になったりしたら大変なので、食には品質重視で価格は度外視しています。
次回はフードの紹介をしたいと思っています。
# by himitukichi-bull | 2014-08-13 05:09 | ブルテリア・バロン

ワンとドライブしたいなあ!

今日、車が納車されました。
念願のニッサンのジュークです。
7月14日発売された新型になります。
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色は「ラディアントレッド」という色。
私は『血の固まりかけの色』と表現していますが、落ち着いたいい色です。
特に夕暮れ時には綺麗に発色します。
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嬉しいです!
私にとって、最高のデザインのカーです。
今日までワクワクでした。
車にはあまり詳しくありませんが、SUVという類の車です。
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子供の時から、こういう車高の高いジープみたいな車に乗ってみたかったんですよね~!
それにこの車のキーはインテリジェントキーとかいうシロモノで、これをポケットに入れておきさえすれば、ドアはポッチを押せば開くし、エンジンだってスタートボタンを押せばかかるんです。
時代遅れでしょうかね。知ってる人はもうとっくに知っていたんでしょうけど、私は初めて知りました。
こんなに車の世界も進歩していたとは!
でも癖で、キーをさそうとして、ついついハンドルの右に手がいってしまいます。しばらくすると慣れるでしょうけど、しかし自動車世界の日進月歩には驚きです。

私、これまで「一生涯、車はミッションだ!」と決めていました。
その私が、ジュークのためにオートマ運転の練習に販売店へ2回通いました。丁寧に教えていただいて、とても感謝しています。ドンくさい私が果たしてできるのか・・?とかなり不安でしたが、『案ずるより産むが易し』。
無事今日の納車を迎えられて、ホッとしています。
でも慣れないオートマですからね、油断することなく気を引き締めて運転したいと思います。

これからはこの車でワンとドライブに行きたいですね。
後部ガラスにはワンがいることのアピールのため、ステッカーをペタリ。
後ろのトランクにはケージを入れてあります。
「バロンゲージ」です。
ただ問題は、ブービーが必ず助手席に座ることを希望されるんですよね。
運転席側から乗る癖がついているので、ここをあの固い爪でギジギジされると大変です。
なので今、傷防止策としてあるものを作っています。
まあ大したものではありませんが。

そして今日のブービー&バロンです。
今日は昨日に引き続き、生憎の雨。
夕方になっても止むことなく、シトシトと降っています。
なのでお散歩は中止。
ブービーは寂しそうですが、バロンはへっちゃら。
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まあ、お散歩にまだ楽しみを見いだせていないですからね。
部屋で遊ぶ方がバロンにとっては楽しいみたいです。
今日はお寺さんのお参りがありましたが、バロンはけたたましく「ワンワン!」と吠えました。
先月は吠えなかったのに。
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「バロンは泥棒にも吠えてくれるわ~♪!」と喜ぶ母。
益々バロンが好きになっています。
# by himitukichi-bull | 2014-08-03 18:19 | その他